各期だより NEWS
71期 同窓会開催
1971年10月、服装自由化、実施。
服装自由化を実現した昭和48年(1973年)卒業、
71期の同窓会が、開催されました。
日時 2024年11月9日(土)18:00~20:00
場所 ホテル日航大阪 4階「白鳥」
出席者 44名、先生3名、合計47名
関口 晴利先生、西本 匡克先生、佐竹 豊先生、3人の先生方が参加されました。
服装自由化を推進した当時の生徒自治会執行部、文化部連合委員長(水谷 俊彦氏)、 運動部連合委員長(丹後 登季雄、空手部)が出席しました。
服装自由化案は、1971年、文化部と運動部(体育部)の部員が、全校生徒に働きかけて、 賛成多数で可決しました。
先生方の反対は、ありませんでした。
しかし、PTAが断固、反対で、すぐに実施できませんでした。
理由は、風紀が乱れ、非行化につながる可能性があるということでした。
生徒自治会執行部とPTAの話し合いは、1週間以上続きました。
最終的に、私が、運動部の代表として、「運動部全員(約200名)で、風紀を取り締まります。1年間見ていて下さい。
風紀が乱れていれば、制服に戻して下さい。」ということで説得しました。
服装自由化が、実施されてすぐに、日本拳法部と空手部の部員が、風紀の腕章をつけて、 朝、校門で服装、髪型の検査を行いました。
私と共に風紀取締りを行った72期の日本拳法部と空手部の部員も、服装自由化実現の功労者です。
当時、大人が嫌うアメリカのヒッピーファッションが台頭し始めて、取り締まりに苦労しました。
ヒッピーファッションの生徒達は、背中まで髪を伸ばして、破れたジーンズ、 汚れたシャツなどを着ていました。
そのような生徒達に、髪の毛は肩までにして、大人の嫌がる格好で登校しないように協力を求めました。
問題のある服装の生徒には、自由化なので、制服で登校するようにお願いしました。
しかし、一回、二回の注意で従わない生徒もいました。
私は、「風紀が乱れていれば、制服に戻すことを、PTAと約束した。」ことを伝えて、 説得しました。
私達は、従うまで説得を続けました。
私が、服装自由化を、実現したかった大きな理由は、
天王寺や梅田で、恐喝される生徒がいたことです。
当時、私立の進学校の生徒は、恐喝されることが多かったのです。
私を含め、恐喝に屈しない生徒は、極めて少数でした。
極めて少数の生徒で、全校生徒をガードできません。
1年間の徹底した風紀取締りで、服装、髪型の乱れは無くなりました。
以来、53年間、学校、生徒、PTAの信頼感関係は続いています。
桃山は、本当に良い学校です。
1971年、服装自由化責任者、丹後 登季雄